‘無反応’というわたしの言葉に、それこそやっと「拍手」という形で‘反応’されたのか、実際記事に対しての好評価の反映なのかは不明ですが前回、五つも「拍手」を頂戴したのは久々です。
日に数百アクセスがあり、更新もマメにされているブログでさえ、いただける「拍手」の数は数個。この現状からして、必ずしも「拍手」の数と訪問者の‘反応’が正比例しているとは思えません。なのでわたしは全くバロメーターにはしていません。
それに一ヶ月以上も更新されず放置されているのに数十もの「拍手」があるブログを見ると、同一人物が毎日チマチマ「拍手」をポチッとしていると思ってしまいます。もっというなら、それ以上にいらぬ勘繰りをしてしまうのは、わたしだけでしょうか。同一人物というのは、そのブログの当人さんだったりなんかして!マスターベーション状態ですね。
単純に数が多いと嬉しいものですが、暗に「拍手」を強要されるブロガーさんもいらっしゃいます。やはり正直な「イイネ!」の拍手をいただきたいものです。
同じく前回に、ちょっと限界ぎみでみなさんに漏らしてしまった、わたしの本音。四年も経つと振り返りもしますし、これからのことも思案します。自分自身が飽きてきたというのも、もちろんあるのですが、いつまで続けるのか、続けてもはたしてニーズはあるのか?意味を成すのか?
そして形あるものやがては消え去るというのは自然の摂理です。あきのからだも経年劣化。齢とともにやがては見るに堪えなくなりますし、それ以前に姿をお見せしたくなくなると思います。
最近とくに、自分と同世代であろう熟年女装のかたたちを拝見してよく思うようになりました。
忙しくてここ数年、わざわざに施設などに行ってスポーツする時間も取れない現状。なので軽いウォーキングを始めました。プラス食後の茶菓子禁止。年齢的に‘健康管理’を実行に移すのも遅すぎるくらいです。体形維持というのも理由のひとつですし、なにより少しでも長く、人さまにお見せできる‘女装’でありたいという思いがあります。
ところが歩くことによって、予想外に肉が落ちてしまったのが‘脚’。「ヤバいヤバい。これ以上、細ると脚を出せなくなる。」わたしにとって脚が出せない女装は女装ではありません。
「即、ウォーキングを止めなくては!」と思いつつも、一度決心したことをすぐに止めれない性分です。こんなときに限って変に意思の強さが邪魔をします。
てなことで、こんな程度のレベルから、より細るとパンスト穿いてもごまかせません。今後、撮れるのかどうかわからないので、タイミングよく少し撮り溜めれた最近のフォトの中から一部。あとは来年にお披露目予定です。
自分でもこんなの着る?っていうノリの今までにない衣裳と、おそらく今までに他で見たことのない創作女装で登場します。
年明けからのお楽しみということで今回は衣装なしの半裸。でも、まんま男の乳ではいけないのでブラだけは付けさせてください。
ネールを付けていても男の手では不恰好。手ブラでは、手は大きく腕までしっかり写るのでリスクが高いです。
何度もいいますが、ブラでしっかり隠してますが、ホントはあきのお乳はキレイなんですヨ。
脚はこんな程度といえども、構図自体は以前から好きだった下の参考画像の再現です。やはり立ち姿。
なかなかブラだけの半裸直立画像ってないんですよ。この娘のマン毛の形も好きなので、同じようにトリミングしてみました。
上のフォトでぶら下がっているタマとチンコがないものとして眺めてみてください。陰毛のカットが一層、女子の股間に見えてきませんか。股の間から向うが見える‘絶体空域’とやらも。
それにしてもこの娘、脚がきれいでしょ。ウエスト細いので、もっと腰骨があれば、クビレもクッキりと出来たでしょうに。
とくにギリシャ彫刻の石膏像やブロンズ像の美術品。絵画などにしても全裸で直立が多くありますが、なぜだかチンコびんびんなんてのは見たことがありません。
チンコの取れた像をよく見るのは勃起チンコだったのかもしれません。出っ張りすぎて折れたのでしょうか。もしや奥方の張り形として、もぎ取られ今もどこかでチンコの先だけ現存しているかもしれません。
美術品にならって今回はいつものコックリングなしでナチュラルに芸術的オッキないチンコ。
それともうひとつ疑問。皮がむけたチンコも見たことがありません。どれもこれも小便小僧状態。その昔、みんな包茎だったのでしょうか(爆)